コラム

目指すのは自然=調和された空間

調和という言葉を考えたとき私は自然環境が思い浮かびます。
様々な生物・植物・有機物・無機物が一体となり一見混沌としているように
見え、実は一つのサイクルの中に成り立っており調和されている地球環境。
調和はゼロでありそのゼロという状態を神と呼ぶのだという言った人がいます。
だからこそ私達日本人はその調和を表している大自然の中に神を見出してきたのではないでしょうか。土の神、水の神、風の神、木の神といったように。

その自然=調和の中で生きている野生動物はほとんど病死しないと言われています。
自らの役割りを果たし、そして自然に帰ってゆく。
その反面私たち人間はどうでしょう。ほとんどの人が何らかの病気によって
その一生を終えてしまっているのではないでしょうか。
なぜでしょうか。その原因の一つとして私は私達の生きているこの環境の調和が崩れ不自然な環境になっているからではないかと考えています。
その不自然な環境を作り出している代表として化学物質があると私は考えます。
現代に生きている私たちの周りには沢山の化学物質があります。
こと住環境を取ってみると壁には石油から化学的に作られたビニールのクロス、床には
木の屑を同じく化学的に作られた接着剤で固め、表面にビニールシートを接着された床材、同じような材料で作られてるドア・ドア枠・巾木・廻り縁・家具、化学繊維のカーテン、アースされていない電気など。見えない部分でも集成材の構造体やグラスウールの断熱材、シロアリ駆除の薬剤など数え始めたらきりがないほどの化学物質があります。
現在一般的に普及している住宅のほとんどは化学物質を大量に使っているのです。
ならば昔の家をそのまま再現すれば、極端な事を言うと原始時代のように洞窟で
暮らせばそこは大自然の中であり確かに調和された空間であると思います。
しかしそれでは単に昔に戻っただけのいわば退化であり私達の目指すものではありません。
人間は進化し続けていくものでありまたそうでなければならないと私は考えています。
よく時代は回る、サイクルすると言われますがそれは円ではなく螺旋であると。同じようなところを回っているようでも螺旋状にゆっくりと上へと上がって行っていると思うのです。
(だからDNAは螺旋の形をしているのかもしれません)
調和は混沌に、混沌は調和に向かうと言った人がいます。
そのサイクルを考えると現在は混沌の極みに向かっているのかもしれません。
現在起きている様々の事を考えていくとたしかにそう感じます。
何もしなければ混沌の渦に巻き込まれるだけです。
確かにそれが自然のサイクルなのであればそれに身を任せるのが自然なのかもしれません。
しかし私達には意思があります。より良く生きていこう、より良く生きていきたいという意思が。サイクルに身を任せるのが自然であるにもかかわらず私達がそれを持っている事には何か意味があるのではないでしょうか。
私はその意思の意味とは子供達の未来をより良くするための意思であると思います。
それは私達の子供、孫、ひ孫、またその子供と延々と続いていきます。
それは生存本能から来る意思とも言えるかもしれません。
未来の子供達のためにも皆さんと一緒により良い環境を創っていければと考えています。
まずは住まいから・・・。


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